流星雨の音が響いている

春高観ながら、自分にはあそこまでの勝ちへの拘りなんて無いなとつくづく感じた。

というか春高に限らずスポーツ観てたらいつもそう思う。

じゃあなんでスポーツを観るのかと言われたら、やっぱり勝負事における人間性とかドラマ性、または競技そのものへの興味か、はたまた。

 

自分が部活してた時はチームが勝つとか負けるとか全く意識せずやってたなー。

(というかまずそんなこと意識してやるような強いチームじゃなかった)

セッターとアタッカーどっちもやってたけど、断然セッターやったな。自分で得点決めておりゃーつってコートの中走るのはずかったし。そんな考え方してたらそりゃ点決めるポジションなんて一番向いてないわな。

今バレーしてた頃のこと思い出してプレーで思い出すのはアタック決めた場面なんて皆無で、レシーブが自分に集まって良いトスあげてエースが決める瞬間とか、レシーブミスでネットに一回跳ね返ったどう跳ねるか分からんボールを上げたときとか。そういうとこ。ま、ただ単に下手であんまりアタック決まってなかったていう要素もありまくりますが。

如何にも自分らしいなと思う。

 

スポーツってこういう心理分析ができるっていうのが魅力なのだね。人が出るから、観てて楽しくて面白い。

人が表現してるものが好きなのかもね。スポーツだって一種の表現だし。結局私が興味を惹く芯の部分ってそこに行き着くなぁ。表しているその人のこと、それをいかに読み取るか、その分析が好きなんだろうか。これからも要検討事項ですね。

 

 

関係ないけど今日は眠りの森っていう曲聴きたい気分で、でも歌うにはキーが低めだからキーボードで調節しながら歌いやすいキー探そうと思って弾いてみたらえらい転調だらけで、調べてみたら冨田ラボって転調使いの人なんですね。んで、それを論理的に解説してるブログ見つけて。細かい感情の起伏に細かい転調を合わせた自然な曲調の変化、とかそんなニュアンスの。だからこの人の曲好きなんかな、って思ったりした。

 

バイト先の空調でやられてる頭駆使して考えて文章にしたらえらくまとまらなくなったけどこの辺で。